クリスチャン・ディオールのリップ紹介と彗星の如く輝いた51年の人生

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クリスチャン・ディオールのリップ紹介と彗星の如く輝いた51年の人生

Christian Dior 【クリスチャンディオール】

1905年1月21日~1957年10月23日

 

フランス北部・ノルマンディー地方にある港町のグランヴィル。クリスチャン・ディオールはとても裕福な実業家の家庭の5人兄弟の2番目として生まれました。グランヴィルは19世紀にはゴルフコースや競馬場を備え多くの芸術家たちが頻繁に訪れるリゾート地となり、モンサンミッシェルなどを中心に今でも人気の観光地となっています。

ディオールは非常に温厚で内向的な性格で父が勧めていた政治や外交には関心がなく幼い頃から既に好奇心の塊で、アートやデッサンが趣味でした。母は植物をたくさん置き育てていました。15歳で「庭のサロン」を設計するなど、この家が彼の美的感覚を育みます。すずらんが大好きで、のちにお花モチーフのコレクションを打ち出し、徹底した美意識と花と女性へのリスペクトを表現しています。

生家は現在クリスチャン・ディオール美術館となっています。

優しいピンクでグレーの小石が混ざった漆喰だった。その2色こそがクチュールにおいても私の大好きな色なのです。

私の幼少期は、嵐の晩、霧笛の音、葬式の教会の鐘の音、ノルマンディーの霧雨の中で育まれました。それら全てが懐かしい。

私の人生、スタイル、ほぼ全てのものが、あの家の立地と建築に負うものです。

いつしか美術学校に入学したいと願いましたが両親の猛烈な反対に遭い進学を諦め政治専門学校に進学すると彼の芸術への情熱はますます高まり、親に自分の享楽に生きた生活を隠しきれなくなります。

温厚な気質だったディオールにとって、親の期待に添えられないことが大きな悩みになっていきました。この時代は芸術活動の扱いは二流の職業でした。ジャック・ボンジャン(恋人)という後に永遠の友情で結ばれる友人との画廊経営の話を父親からの出資で受けるという苦い経緯などから、自力での芸術活動を諦めたディオールは芸術家のバックアップをするような仕事として画廊をオープンします。その画廊の名前は「ジャック・ボンシャン画廊」共同経営者としてその手腕を発揮し、大成功を収めます。彼らには様々なアイデアがありシーズンごとに新たなコンセプトの展覧会を開き、美術雑誌でも高く評価されたのです。バブロ・ピカソやマックス・ジャコブなどの絵も置いていました。

しかし画廊経営は4年で行き詰り世界恐慌の煽りを受け1931年にはディオールはホームレスになります。

ホームレス、結核、破産。。。挫折からの最初の復活

ホームレスといっても親しい友人の誰もが彼を気遣い、彼の人柄も幸いしどうにか生き延びました。しかし結核にかかり、ここでも友人たちが僅かなお金を出し合って彼に治療を受けさせることになりました。物価がパリよりも安いスペインのイビザ島に移住しそこで1年間の孤独な療養期間を過ごしましたが、彼は成長しパリに戻ります。

失業者で溢れていたため仕事は見つからず、やけになっていたディオールの救世主となったのは友人クリスチャン・ベラールの従兄弟でデッサン画家のジャン・オセンヌ。彼は自分のアパルトマンをディオールに提供し、ディオールはそこでデッサン画1枚で大きな収益を得ていたオセンヌを真似て彼の下で修業を積みます。

ディオールの基本的なデッサンの描き方や色彩に関する勉強、またファッションデザインや女性美に関する勉強の基礎はこの時代に培われました。ディオールのデッサン画を買い取ったのはスキャパレリ、バレンシアガ、ジャン・パトゥなどの一流メゾンです。

ついに自分自身の家を持ち自立し始めたのち、ロベール・ピゲという顧客のデッサン画に非常に感銘を受け、ディオールは1938年にピゲの元でクチュリエとしての最初の一歩を踏み出します。ここで貴重な下積みの時代を過ごし、才能が開花し始めます。のちにディオールはこう語っています。

ピゲから、シンプルであることの長所によって真のエレガンスが現れることを教わった。

戦争が勃発した1939年9月、彼は徴兵され兵士として意外にも穏やかな地で過ごし1941年にパリに戻りますが既に別のデザイナーが雇われていたため、ルシアン・ルロンのメゾンで職を見つけ働くことができるようになりましたが、下働きが続くにつれ自立を模索します。

女性とファッション界の悲壮感をエレガントで包んだ偉業。ニュールックの誕生

混沌とした街中を歩くクリスチャン・ディオールの運命。心の葛藤。戦争で全ての人が怯え苦しみながら日々を凌ぎました。

布の配給量の制限から、優雅なロングスカートを履く女性はどこにも見当たりませんでした。女性たちもまた、それまでの暑苦しいドレスやコルセットから解放されたという想いもありました。

しかし裕福な生まれのディオールは女性の服をデザインするとき、合理性・機能性よりも理想的な美しさや、美術に対する譲れない美学を培ってきた経験がありました。

やがてフランスの大富豪で「コットン王」の異名を持つマルセル・ブサックと出会い、自分が思い描くメゾンについて語った言葉があります。それは、俗っぽいファッションが主流になってきた時代の中でやはり美しいものを作り続けたいと願う気持ちが表れたものでした。「飾られた雰囲気の、しかし装飾的ではない」小さなアトリエを作るために。

機械化ばかり優先させている時代だからこそ、昔のように念入りに仕事をしたいのです。研究所で仕事をするように。

2人は気が合い、戦後間もない1946年12月16日、メゾン「クリスチャン・ディオール」がパリ8区に誕生します。そしておよそ2カ月後の1947年2月12日、初めてディオールのコレクションが発表されました。ここからクリスチャン・ディオールは亡くなるまでの10年間、パリモード界をエレガンス旋風へと導き続け多大な影響を与える生涯が始まります。

クリスチャン・ディオールが41歳の時でした。

ニュー・ルック

ディオールが名付けたコレクション名はCorollr コロール「花冠」

ハーパースバザー誌の編集長であったカーメル・スノウがこのコレクションを評価した「ニュー・ルック」というフレーズで呼ばれるようになり、世界に一大旋風を巻き起こします。それは、戦争で完全に失われてしまったフランスのモードを完全に取り戻すものでした。

グラマラスなバストラインとくびれたウエストを強調したフェミニンなライン。

スカートのシルエットはふんわりし、丈は長め。

ディオールが提案した新しいスタイルは、ボックス型のジャケットに短い丈のスカートに収まっていた女性たちには野暮ったく見えましたし、戦争後で物資が不足する中でディオールのエレガントなスタイルは、あくまで貴婦人のためだけに提案されたこともあり、物議を醸しました。お金のない女性たちがディオールの服を身にまとう女性を襲い、街中で頻繁に暴力沙汰が起きますが戦後の物資不足の解消によって沈静化していきます。

モードという点でディオールの服が新たな時代を築いた革命を起こします。ディオールは受け入れられるか自信がなかったそうですが、このコレクションを境に自分の直感や信念を強め、この後も次々に新しいスタイルを提案していきます。

服には魂が込められていなくてはならない。

エレガントへの回帰と本当の復活

ディオールが提案したものは、エレガントな時代への回帰を表した作品でした。それは「表現することを知っている服」を作ること。そのメッセージは服を通して人々の心に訴えかけます。女性を優雅に美しく見せるための「第二の肌」として自身のスタイルを世界に広め、女性たちに装う喜びをもたらしました。

ニュー・ルック

それがニュー・ルックとして受け入れられ、バイヤーたちが躍起になってディオールの服を買い求めることになります。アメリカにもモードは存在しましたが、モードの都は紛れもなくパリでした。

そして、パリのモードが戦争の傷跡から復活すると、バイヤーたちがディオールのニュー・ルックを手に入れようとはるばる海を渡ってくるようになったのです。事務所を拡張し、1947年8月にはディオールの秋冬コレクションが発表されました。ディオールはニュー・ルックを更に進化させ、より洗練されたスタイルを提案しこのコレクションもまた大成功を収めました。

1947年、彼はアメリカで「オスカー・ドゥ・ラ・クチュール」賞を受賞し、アメリカに渡りました。熱狂的な歓迎を受け、ディオールは自分の方向性に更なる確信を深めます。

クリスチャンディオールの香水やコスメへの情熱

ディオールにとって、香水やコスメもまた女性には欠かせないアイテムでした。こんな言葉を残しています。

女性の香水は、筆跡よりもその人の性格を物語る。

 

香水

ミス ディオール アブソリュートリー ブルーミング 100ml

グラース産ローズとダマスクローズが永遠に咲き誇るフレッシュな花々を際立たせ、全体をホワイトムスクが支える、ディオール初の香水です。

女性を演出するために女性に相応しい香水を作らなくてはならない、と香水事業にも力を注いでいきます。オートクチュールと香水事業を分け、事業の円滑化を図ろうとしました。このような経緯で1948年に設立されたのが、香水やビューティラインに特化した会社「パルファン・クリスチャン・ディオール」です。

ディオールリップ人気第1位!アディクトリップマキシマイザー

全7色 ¥3250     不動の一番人気は001のピンク。
何と言ってもどんな唇の荒れをも抑えながら自然な血色を与え、ふっくらとしたボリュームを出す逸品。カプサイシン・ヒアルロン酸・コラーゲン配合で、控えめなミントの香りもこの人気を支えています。

新作ルージュ ディオール ウルトラ リキッド

咲きたての花びらのようにみずみずしいテクスチャーが魅力のリップ。ムッシュ ディオールが愛した花々から抽出されたケア成分が配合されたケア効果の高さが魅力です。

パルファン・クリスチャン・ディオール ルージュ ディオール ウルトラ リキッド 全15色  ¥4,200

全15色  ¥4,200

マットなのに潤うケア効果の高さが魅力で、100%自然由来のカメリナオイル、スイートアーモンドオイル、シアバターのミックスを配合し、まるで花びらのように柔らかく軽いつけ心地。ホイップされたフラワーオイルで濃密ケアと、3つのマットで仕上がりを叶えます。

3つのマットはペタルマット、サテンマット、グリッターマット。特にグリッターマットは、マットの中に煌めきを感じる、類稀なる不思議なフォーミュラです。

新作ディオール アディクト ステラー シャイン

なめらかで艶やかで圧倒的、 色の強さは自由自在。24色もの絶妙ピンクがそろうディオールの新リップスティック

全24色 ¥4000
なめらかで艶やかで圧倒的、流行のバームタイプの代表格です。
色の強さは自由自在。24色もの絶妙ピンクがそろうディオールの新リップスティック。大人の唇を乾かさないバームの高い保湿力にも大満足です。ディオールのメイクアップのなかでも、流行を敏感に反映するファッショナブルなシリーズ「ディオール アディクト」に、「ディオール アディクト ステラー シャイン」登場。

ナチュラルからモードまで24本のすべてが心躍るピンク系。これは「幸せと女性らしさを表す色。女性はだれしもワードローブに何かしらピンクのアイテムをもつべき」と語り、ラッキーカラーとしてピンク色を愛したクリスチャン・ディオール氏から、インスピレーションを得たものです。

クリスチャンディオールの後半の人生

ディオールは「クチュールの二大機能」として

1. 職人的仕事の擁護

2. 生活水準向上のため、才能ある人を生かす方法を見つけること

と説きました。実業家としての並々ならぬ努力や誠実な仕事を積み重ね、ディオールの死後も会社が滞ることなく円滑な経営が続いていきます。

1953年、クリスチャン・ディオールのアトリエの隣にヴィヴィエが指揮を執った靴専門店「クリスチャン・ディオール S.A.R.L.」が設立されます。ヴィヴィエの靴はディオールのコレクションの中でも登場し、ディオールとヴィヴィエは黄金のクチュールコラボを実現し続けていきます。

1952年、ディオールはロング丈スカートを一気に40cm短くした新作スカートを発表、1953年には全体的にふんわりとした「チューリップライン」を発表しました。

そしてウェストを絞った「ニュールック」をやめ、新しいスタイルに以降していきます。1954年にはウェストをすっきりさせた「Hライン」、1955年には上から下にかけてのシルエットが広がる「Aライン」と、スカートラインをすっきりさせた「Yライン」を発表し、これらもまたファッションの世界で賞賛されることになりました。

1955年、ディオールは、19歳の新人デザイナーを雇い入れました。

イヴ・サンローラン

イヴ・サンローランです。

サンローランは、ディオールの一番弟子にして唯一の弟子になりました。

私のあとを継ぐのはイヴしかいない。イヴ以外の人は考えられない。

クリスチャン・ディオール

10年間彼のドレスは売れ続け、いちメゾンを立派な企業に成長させ、この業績を誰もが称え、アメリカの経済有力紙「TIME」はクチュリエであるディオールをカバーに選出しました。

しかし実はその陰では大の美食家で、企業が大きくなるストレスから暴飲暴食に走ることを止められなくなっていたようです。肝臓への負担や心臓発作が原因で1957年10月23日、イタリアの保養地・モンティカティーニで、彼は就寝前、椅子に座ったままひっそりと息を引き取りました。51歳のディオールの突然の死は彼のメゾンを愛する者だけでなく世界中に衝撃をもたらします。

しかし好きなことや愛することで成功するべきという情熱と、圧倒的な美意識は今も優秀な後継者たちに引き継がれ、世界中の著名人やファッション界の重鎮たちや女性たちの心をなお引きつけています。「エレガントの父」のような人生を体現したクリスチャン・ディオールは、グレース公妃のスタイルを確立し世界中の王室や女優たちに愛され、短い生涯を誠実で温厚な人柄で生き抜きます。戦争後のどうしようもない険しい空気を花や美しい女性たちで埋め尽くすかのようなコレクションは生涯絶賛され、ファション界の稀有な存在として君臨しました。

多くを買う必要はないが、買うものが本当にいいものかを確かめなさい。

情熱は全ての美の秘訣です。情熱のない魅力的な美など、存在しません。

花は、女性の次に、神がこの世に与えた最も美しいもの。

 

【引用元】

クリスチャン・ディオールの歴史~創設から現在まで~

Precious.jp編集部

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Ovni

自伝「クリスチャン・ディオールと私」

 

 

 

 

 

 

 

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